沿革
昭和19年 文部省告示597号をもって、4月より平市鎌田山に福島県立磐城農学校設置の件認可される。第1学年2学級を入学させ、4月16日より平市六間門11番地に旧私立磐城青年学校を仮校舎として授業を開始する。
昭和23年 新制高等学校に組織変更。名称を福島県立磐城農業高等学校と変更する。定時制課程を設置。中心校農業科1学級、被服科1学級。上遠野分校農業科1学級、被服科1学級。小名浜分校農業科1学級、被服科1学級を併設。7月31日より勿来町に分校を設置(普通科2学級)。10月31日小名浜分校は小名浜高等学校に併置される。
昭和24年 福島県立植田高等学校統合(女子普通科2学級)
昭和25年 校歌制定
昭和26年 勿来分校は勿来第2部となる。
昭和28年 勿来第2部は県立勿来高等学校として独立する。上遠野分校は農業部となる。
昭和29年 普通科が独立して福島県立植田高等学校となり、当分本校に設置されることに決定。
昭和32年 家庭科新設、1学級50名募集。併置校福島県立植田高等学校の生徒募集停止。
昭和33年 機械科新設、1学級40名募集。翌年より募集定員80名の内示を受ける。
昭和34年 福島県立磐城農工高等学校と名称を変更する。
昭和37年 福島県立磐城農業高等学校と改称。機械科は福島県立勿来工業高等学校に統合。畜産科新設、1学級45名募集。農業科1学級募集停止。
昭和38年 福島県立高等学校学則の一部改正により募集定員は全日制は農業科50名、畜産科50名、園芸科50名(新設)、生活科100名(新設、家庭科募集停止)。別科産業科25名。上遠野農業部は福島県立遠野高等学校として独立する。
昭和40年 農業土木科設置について内示をうける。農業科募集停止
昭和48年 福島県立高等学校学則の一部改正により募集定員は全日制は畜産科40名、園芸科40名、農業土木科40名、生活科80名、別科産業科25名。
昭和49年 農業土木科を緑地土木科に転科。
昭和50年 学校所在地変更(いわき市後田町石田63からいわき市植田町小名田60へ)
昭和51年 福島県立高等学校学則の一部改正により別科産業科廃科。
昭和56年 同窓会館(延面積381.63㎡)完成落成記念式典。
昭和57年 農業科1学級新設。畜産科募集停止。
昭和63年 食品流通科1学級新設。農業科募集停止。
平成元年 生活科学科2学級新設。生活科募集停止。

平成5年

創立50周年記念式典。
平成7年 農業土木・緑地土木科創設30周年記念式典。
平成13年 福島県立高等学校学則の一部改正により募集定員は全日制・食品流通科40名、園芸科40名、緑地土木科40名、生活科学科40名。
平成15年 創立60周年記念式典
平成17年  図書室冷房工事竣工。
平成20年  体育館耐震化推進工事竣工。
平成22年  樹木伐採舗装工事竣工(メタセコイア伐採)。
平成23年 

3月11日「東日本大震災」により校舎の多数が被災。4月11・12日余震により校舎が壊滅的な被害を受ける。

4月23日勿来高校を一部借用し授業再開。8月22日グランド西側に設置された仮設校舎2棟で、授業再開。

平成24年

10月15日 磐城農業高校災害復旧機械工事竣工。

11月15日 磐城農業高校災害復旧電気工事竣工。

11月26日 磐城農業高校磐農会館外解体工事竣工。

12月25日 畜産実習室(青雲荘)解体。

平成28年 10月15日 新校舎等竣工落成記念・創立73周年記念式典挙行。

 

令和元年  11月27日 堆肥プラント新設工事竣工。

令和2年 

 9月30日 太陽光型植物工場建築工事竣工。

令和5年

11月11日 創立80周年記念式典挙行。